かぞくとおかねと人生と

不安と向き合い家族と歩む日々の記録

私の娘

私には2人の娘がいます。

 

しっかり者で、とても心の優しいお姉ちゃん。

ニコニコ元気で、自由人な妹ちゃん。

 

妹ちゃんは「発達障害」をもっています。

今日は私が発達障害児の父として歩み始めたときのことを記録しておきます。

(なんでこのテーマを最初に選んだのかな・・・、自分でも不思議です、笑)

 

二人目の子供を授かり、妻のお腹の中でも順調でした。

お姉ちゃんの時も母体血清マーカー検査を受けていたので妹ちゃんも受けたところ、先天性の染色体異常の確率が少し高かった。

その時に妻と障害児だったら、ということを少し話した気がしますが、生まれてくる喜びしか頭に無く、そのまま月日は流れていきました。

 

予定日になっても全く生まれる気配がありません、このままだとあと数日で分娩誘発というところでやっと陣痛がきました。

(この時からこの子はきっと自由人だなと感じていました、笑)

出産はとてもスムーズで元気に生まれてきました。

 

この子は障害児なのか?と真剣に考えだしたのは、私の弟の一言でした。

お姉ちゃんよりもかなり早くに歩き始めて、歩くのもうまくなり1歳半くらいの時だったでしょうか、

「この子、よくつま先立ちするよね、気になって調べたら発達障害の可能性もあるらしいよ」と、

誤解のないように付け加えますが、弟は十分に私たちに配慮して、また、弟なりに悩んだ末に伝えてくれました。

まぁ、私も出来た人間ではないので、普段とても仲の良い弟と大喧嘩になってしまったのですが、笑。

今ではお互いに良い思い出です。

 

私と妻も違和感は感じていました、お姉ちゃんの時とは何かが違うな・・・。

特に発語がほぼ無く、1歳児健診でも気になる個所として指摘を受けていました。

一方で前向きに考えたかった自分がいるのでしょう、「発育が遅いだけだよ」。

障害児の可能性に真正面から向き合うことを自ずと避けていたのかもしれません。

 

弟からの客観的な指摘を受けて(大喧嘩で目が覚めて、笑)、発達障害であれば早くからトレーニングを開始した方が、この子の未来にとって良いのではと考えを改め、まずは専門機関に診断を仰ぐことにしました。

(1歳や2歳で発達障害の確定診断は出ず、確定したのはもっと後になってからです)

 

ここがターニングポイント、発達障害児の父としての腹が座り、覚悟をもって歩き始めたところのようです。

 

とまぁ、かっこいい感じで書いてみましたが、私は元来気が弱く、逃げ腰で、困難に立ち向かうことを避る、とても臆病な人間なのです。

今でも毎日のように娘の発達障害による上手くいかない日常に泣きたくなります。

同年齢の健常な女の子、その父親を見ると羨ましくなる時もあります。

 

それでも、自分の核のところで「私はこの子が大好き」なのです。

可愛くてたまらないのです。

この愛情は決して変わらないという妙な自信があるのです。

 

シンプルにそれに気づいた時、

いつだったのかな、

いつのまにかなのかな、

そもそも私たち夫婦のところに来てくれたときからなのかな、

その時に障害をもった娘の父になれたのだと思います。

 

それと、最後にとってつけたような登場で申し訳ないけど、

どのような巡りあわせかはわからないのだけど、

お姉ちゃんが先に生まれてきてくれたことが、私の心を大きく支えてくれました。

お姉ちゃん本当にありがとう、

妹ちゃんよ、お姉ちゃんを大切にしてね。

 

改めて文章で書くことで自分を見つめ直せました。

ブログっていいな。

つづくかな、笑

 

さはら