かぞくとおかねと人生と

不安と向き合い家族と歩む日々の記録

親の勝手な思い込み

もう十年近くも前になりますかね、産業カウンセラーの資格を取りました。

もともと傾聴力が極端に乏しかったので、見かねた先輩が勧めてくれました。

 

産業カウンセラーを受講して割とすぐに出てきた言葉だったと思います。

なんででしょうか、私の心にピンとくるものがありました。

 

「準拠枠」

皆さん、こんな言葉聞いたことありますか?

興味のある方は是非正確な文献で意味などをお調べください。

 

人が物事を判断、認識するときに人それぞれのフィルターを通して物事を判断、認識している。

だいぶ端折っており正確とは言えないかもしれませんが、私はそのようなイメージを持っています。

 

準拠枠、価値観、考え方、このような単語を近しく連想してしまいます。

一方で、思い込み、決めつけ、色眼鏡、こんな単語も同時に連想されてきます。

 

さて、

「親が子供に可能性を与えることは中々に難しいが、

 親が子供の可能性を阻害してはいけない」

この意見に同感される方もいらっしゃるのではないでしょうか。

私はそう思って子供には常日頃接しています。

 

可能性を阻害しないためにも自分の思い込みや決めつけ、色眼鏡は絶対に避けようと心に決めて子育てをしてきたつもりです。

 

とはいえ、意識していても無意識にやってしまうのが人間なのでしょう。

私の心に深く刻まれたエピソードがありますので記録しておきたいと思います。

 

私の次女が発達障害であることはお伝えしておりますね。

保育園の頃はこんな感じだったでしょうか。

1~2歳の頃に同級生との違いが見え始め、

3~4歳になると同級生とは明らかに様子が違ってきて、

5~6歳になるとこの子なりに成長してもらえればと思うようになりました。

 

発達障害と一言でいえども、程度も違えば個性や特徴も百人百通りと言われます。

では私の次女はというと、

 

  • 発語がほぼなく会話でのコミュニケーションがとれない
  • 集団行動がとれず、運動会、音楽会などの行事はほぼ何もできない
  • 周りを気にせず自分のすきなことをやる
  • すぐに疲れて寝る

 

発達障害児の親御さんであれば「わかるわかる」と頷ける部分もあるかもしれません。

ただ、1つだけ、親として以前から気になっていることがありました、

「この子はなんで同級生に嫌われないのだろう・・・」

 

確かに、

いつもニコニコしていて元気に飛び跳ねています、

自分の好きなものを同級生にとられても怒りません(手をあげることもなし)、

話せないのに歌らしきものを歌って同級生を笑顔にする、

なぜか同級生が寄ってきてくれるのですよね。

私を見かけると(私の娘)ちゃんパパと、嬉しそうに寄ってきてくれます。

 

さて、保育園最後の卒園式です。

さすがに少し成長したのか、卒園式の内容の30%は自力でできたかな?

素晴らしい同級生、素晴らしい先生に恵まれたと、涙もろい私は感涙していました。

 

園庭で最後の記念撮影をとっていると一人の同級生の女の子が寄ってきて、

私の娘に恥ずかしそうに絵本仕立てになった数枚の手紙を渡してくれました。

そして初めてお会いする女の子のお母さんが私に声をかけてくれました。

 

「この子は保育園に行きたくなかったとき、(私の娘)ちゃんに救ってもらったんですよ」と、

私の娘に救ってもらったなんて、そんな大げさな・・・。

 

 

自宅に帰り、もらった絵本仕立ての手紙を見て、私は涙が止まらなくなりました。

 ずっとともだち、

 ついに卒園がきてしまった、

 みんなと別れるのがつらいが、(私の娘)ちゃんと別れるのが一番つらい、

 いつもそばにいてくれた(私の娘)ちゃん、楽しい毎日をありがとう、

 私には忘れられない友達がいる、(私の娘)ちゃんです、

 ありがとう元気でね、私のこと忘れないでね、

 私もずっとずっと忘れない。

 

なんで私は泣いているのだろう・・・。

冷静に読めば、よくあるお別れの手紙だよね。

止まらない涙はなんでだろう・・・。

 

私はいつの間にか「障害をもった私の娘は同級生と友達になんてなれない」と、

思い込んでいた、決めつけていたのです。

 

友達というのは、同じクラスになったから友達というレベルではなく、

まさに女の子が手紙に書いてくれた、

 一緒にいたい、

 そばにいたい、

 別れたくない、

 忘れないでほしい、

という親友関係。

 

私という大人は、やっと保育園を卒園する小さな女の子に、

私が今迄作ってきたゆがんだ準拠枠、価値観、考え方を一瞬にして破壊されたのです。

こんなに心地の良い、それでいて破壊力抜群の一撃を私はしりませんでした。

 

私の次女は、今日も周りに支えられて、楽しく生きている。

次女は次女で、今日も最高の笑顔を届けながら、周りを支えて生きている。

 

私の色眼鏡は、かけないように眼鏡ケースにそっとしまいました。

 

さはら